1/4-1/9 『真夜中のデッド・リミット(上・下)』スティーブン・ハンター・著(新潮文庫)
1/10-1/14 『クルドの暗殺者(上・下)』スティーブン・ハンター・著(新潮文庫)
「ボブ・リー・スワガー・シリーズ」の大ヒットで有名なスティーブン・ハンターの初期の作品が新潮文庫から相次いで復刊された。「クルド…」は第2作(82年)、「真夜中の…」は第4作(88年)である。このうち「真夜中の…」は89年の日本冒険小説協会大賞を受賞しており、高い評価を得ているが、個人的には「クルド…」のほうがハンターらしいというか、ボブ・リー・スワガー・シリーズの原点というような作風であるという印象を受けた。
ボブ・リー・スワガー・シリーズのすごさは、もちろんあの凄まじい戦闘シーンの描写もさることながら、実は登場人物の「味」にあると私は思っている。その点、「真夜中の…」はやや登場人物の描写が物足りないというか、癖のある人物がたくさん登場してくるのだが、一人一人の書き込みが不足している感が否めない。とはいえ、さすがはハンター、どちらも超一級のできばえ作品であり、読み始めたら止まらないのはボブ・リー・スワガー・シリーズと同様である。
1/15-1/18 『日銀は死んだのか?−超金融緩和政策の功罪−』加藤出・著(日本経済新聞社)
日銀が一旦は解除したゼロ金利政策を再び採用してはや一年が経過した。本書はゼロ金利政策の結果、経済の血液とも称されるマネーの流れが滞り、行き場のないマネーが日銀当座預金に積み上がる(いわゆる「ブタ積み」)現状に警鐘を鳴らしている。なるほど確かにマネーに金利が付かなければ、運用するのも面倒くさいということで、使い道のないまま退蔵されることになるわけで、まさにタダ(ゼロ金利)より怖いものはないということである。
ということは、もしかしていまのデフレはゼロ金利のせいではないのか、と考えるのはしろうと考えか?。マネーに金利が付けば、寝かしておくのはもったいないから使い途を考えようとするのではないだろうか、よくわからんけど。
1/19-1/23 『ビジョナリ−・カンパニー2−飛躍の法則−』J.C.コリンズ・著(日経BP社)
前作「ビジョナリー・カンパニー」は、ある一定の基準を満たす超優良企業を選び、その強さの秘密を解明しようとした名著であったが、いかんせん、選ばれた企業が優良すぎて、そもそもふつうの企業の経営には参考にならないという「苦情(?)」が多かったそうである。いわば、凡人には天才のやることは真似できないということである。そこで、本書では新たに「ふつうの企業で優良な企業」、つまり努力家型企業を新たに選びなおして、再度同様に強さの秘密を解明しようとした本である。
読後の印象としては、「天才型」はおろか「努力家型」を目指すにしても、それは並大抵のことではない、という当たり前の事実を改めて痛感させられた次第である。
1/24-1/28 『人口減少の経済学−少子高齢化がニッポンを救う!−』原田泰・著(PHP研究所)
先ごろ発表された新しい人口推計によれば、我が国の人口は2006年にピークアウトして、急激な少子高齢化を伴いながら減少していくそうである。人口の減少(=労働力の減少)は今後の我が国の経済成長にとって、大きな制約要因となる。しかし、今から「産めよ増やせよ」と騒いでも、その効果が労働人口に反映されるのはずっと先の話であり、その意味では本書のように、「いまそこにある危機」である人口減少という問題に、むしろもっと「ポジティブ」に取り組んだほうが、はるかに建設的なように思える。その意味では、読後感としてはやや楽観的に過ぎるかな、という気がしなくもないが、元気付けられる一冊である。
1/29-2/8 『インフレ・ターゲティング−物価安定数値目標政策−』伊藤隆敏・著(日本経済新聞社)
経済政策が手詰まりの状況を呈する中、その打開策として、調整インフレ論、あるいはインフレ・ターゲット論(本書によれば、両者は異なるものであるらしい)の是非が論議されている。私は個人的には、この人為的にインフレを起こすというのが、どうも胡散臭い感じがしてならず、これまであまりまともにそういう論者の著作を読んだことがなかった(実を言うと、インフレ論者にはなんとなく胡散臭い感じのヒトが多いから、というのも理由のひとつなのであるが…)。
そうした中では、著者の伊藤隆敏氏は珍しくこの「胡散臭さ」が薄い学者という印象があり、その彼が一般人向けに「インフレ・ターゲティング」の意義を平易に書き下ろしたという本書は、読んでみようかという気になった。
その意味で、本書はインフレ・ターゲット論とはどんなものなのか、を理解する上では格好の一冊であると言えるが、逆に良心的(?)である分だけ、結局のところ、インフレ・ターゲット政策をとればなぜマネーがモノの購入に向かうのか、という一番肝心なところについては、「きっとそうなるはずだ」というような、やや慎重なもの言いになっており、私の感じる「胡散臭さ」は依然として解消されないままである。
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