【白金−由緒正しきまち】 緑と坂の散歩道                         (文・写真)辻田昌弘
 八芳園の前あたり、目黒通りから脇道へ入ると白金の瀟洒な邸宅街である。白金という地名は江戸時代からの古いもので、その昔、白金長者という富裕の豪族が住んでいたところからつけられた地名だという。江戸時代、このあたりには武家屋敷が多かったというから、いわば古くからの由緒正しきところということになる。現在の聖心女子学院は松平右近将監の、東京大学医科学研究所は五嶋左衛門尉のそれぞれ屋敷跡である。2つの屋敷跡の間を通る、江戸時代には五嶋谷と呼ばれていた路地は、鬱蒼とした木々に覆われたなかなか風情のある小径である。
五嶋谷:現在の聖心女子学院と東京大学医科学研究所の間の小径。「五嶋谷」は江戸時代の呼称

 
 道を突き当たったあたりの高台はかつて蜀江台と呼ばれていた。この名前はこのあたりの紅葉の美しさが「蜀江の錦(中国四川省産の有名な錦)」に例えられるほど見事だったことに由来するらしい。聖心女子学院の敷地に沿って下る蜀江坂の上からの眺めは、今でも当時を彷彿とさせるだけのすばらしい広がりを有している。

 この周辺のまち並みは、樹木の緑がとても豊かである。聖心や東大の広大な敷地に樹木が多いせいもあるが、それ以上に個人の住宅の庭にも樹木が豊富なことに感心させられる。大邸宅の手入れの行き届いた庭木はもとより、普通の住宅のけっして広くはない庭や玄関先にも草木が数多く植えられている。
蜀江坂:かなり建物が立て込んできているとはいえ、坂の上からはいまでも南麻布方面を気持ちよく見渡すことができる。
 
 ノーブレス・オブリージュという言葉がある。地位や身分に伴う社会的義務というような意味であるが、ここに住まう人々は、植栽に手間をかけてまちの景観を維持することをひとつの社会的義務と心得ているのだろう。歩いていると、そうした矜持が感じられるまちである。

 蜀江坂を下りきると、三光豊沢商店街にでる。再び住宅街に入り、明治坂という名の坂を登っていくと、途中に豊かな緑に覆われた駐車場が現れる。ここは1920年開設という歴史を持つナザレ修女会のあったところだが、修女会は残念ながら93年に三鷹に移転した。涼しげな木陰に佇んで、蜀江坂にも劣らぬ眺望を楽しみながら往時の情景に思いを馳せれば、そぞろ歩く修道女たちの姿が心に浮かんでくるような静かな場所である。

 明治坂を上がりきり、芝生が美しいテニスコートを横目で見ながら少し歩くと外苑西通りにでる。立派な銀杏並木が続き、ブティックやレストランなどが点在している。最近では町名にちなんで「プラチナ・ストリート」と呼ばれているそうである。プラチナ・ストリートのなかほどには最近流行のオープンテラスのレストラン「ブルーポイント」があるので、ひと休みしよう。オープンテラスに腰を下ろして通りを行き交う人々をぼんやりと眺めながら時を過ごすのは、とても気持ちの良いものである。

明治坂:明治以前からあった道だが、こう呼ばれるようになったのは明治初年以来と伝えられている。
 ひと休みした後はフィリップ・スタルク設計の奇抜なデザインの建物「ユーネックス・ナニナニ」を眺めながら国立自然教育園や東京都庭園美術館をめざすもよし、広尾あたりを散策するもよし、話題の恵比寿ガーデンプレイスまで足を伸ばすという手もある。 函館元町、三宮北野町、横浜山手など、緑と坂のあるまちは、散歩するのによいまちであるが、ここ白金もそうしたまちのひとつである。


三井不動産S&E研究所編『東京都心散歩・港区』(日本経済新聞社刊)所収
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